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6 April, 2005

親不知を抜く

両親が経営する店の常連客の中に歯医者さんがいる。腕がいいとのもっぱらの評判で、うちの両親も悪いところを全部治して綺麗にしてもらったらしい。親の薦めもあり、オレも定期的に通っている。だが、もともと虫歯にはあまり縁がなく、行ってもいつも歯石を取る程度で終わっていた。

去年の4月頃、ちょうど日本に一時帰国をしていた時だった。ちょっと虫歯がありそうな雰囲気があったので、見てもらいに行った。その時は確か初期段階の虫歯が見つかったような・・・。先生が治療を終えた後、爆弾発言をした。

「親不知が生えてきてるねー。近いうち抜いた方がいいだろうねぇ。」

ガーン。親不知である。親も知らない奥歯の奥の歯である。抜歯は痛い・・・。人生、痛い経験はなるべく避けたい。歯医者も嫌いである。にもかかわらず、こうして定期的に歯医者に行くように心がけている。なのに、親不知とは・・・。一生の不覚。神様はこの歯医者孝行のオレを見捨てたのか。

この親不知、誰にでも生える訳ではない。いつ生えてくるとも決まってもいない。一生生えてこないというラッキーな人もいれば、オレのように若くして親不知がにょきにょき生え、奥歯にぶつかり始める人もいるのである。すごく不公平である。もういっぺん言うが、オレは歯医者孝行である。なぜ故、オレか。

とにかく、そんな先生の突然の宣告で親不知という名の未知なる爆弾を口内に抱え、1年が過ぎようとしていたある晩のことである。右上の奥歯が何となく痛くなり始めた。もしや、と思ったが、虫歯かもしれない。いやストレスかもしれない。いやいや、やっぱりあれか?あれなのか?去年12月の帰国後以来、早く親不知をどうにかしようと思っていたのだが、なかなか行くきっかけも掴めず、放置していた。今思えば、もっと早く行けばよかった。来週には都内に引っ越しである。もし一回で終わらなかったら厄介な事になる。「あーこれは全部抜いた方がいいですね」などと言われ、何ヶ月も都内から地元まで通う事になる。かと言って、都内のいい歯医者など知らない。どうせ抜くならこの先生にお任せしたい。

さて、予約をし、いざ出陣。名前を呼ばれ、中へ通される。診察室の椅子に座っていると隣から少し訛ったおばさんの声が聞こえてきた。そのおばさんは治療が終わったにもかかわらず、しつこく先生に色々と質問していた。

「あの~、この中央のところが、へこんでるんですけど~」
「あの~、前、治療してもらったところ、バイ菌とか、入っちゃあないんですか?」
「あの~、もう一つ、この、出っ張っている所を、楊枝とかで突付くと、痛いんですけど~」

「あの~」連発。しかも茨城訛り炸裂。先生が席を立とうとしているのに、おばさんの質問攻めで立てない様子が手に取るように伝わってくる。最後の質問に先生が「そりゃ楊枝で突付けば痛いですよ」と冷静に答えていたのが印象深かった。

オレの番がやってきた。歯を一通りみるなり、先生は「来る前に磨いたと思うけど、やっぱり奥歯の汚れは取れてないね」と言ってのけた。どうやら奥歯が曲がり始めたのも、奥歯がちゃんと磨けないのも、全部親不知のせいらしい。昨晩の右上の奥歯の痛さは虫歯ではないようだ。ついに親不知が動き始めたらしい。

レントゲンを取り、写真の現像が仕上がる間に歯石を取ってもらう。他のところは知らないが、こんなに効率よくやってくれる歯医者が他にあるだろうか。感心しているのも束の間、さっそく現像写真を片手に先生が戻ってきた(右写真参照:まさしくこんな感じ)。上下左右の親不知がそれぞれ今どんな状況か一通り説明してくれた。今の段階ではやはり右上の親不知が奥歯に影響し始めており、比較的取りやすい状態なのでやはり取ることを勧められた。さっさと終わらせてしまいたいオレとしては、歯石を綺麗に除去してもらった上に、諸悪の根源をすぐに、しかも同じ日に取ってもらうなんて、この上ない幸せなことであり「もう取っちゃって下さい」と、やる気満々でお願いした。

抜歯の準備が始められ、椅子が倒される。ドキドキしていると、何とファーストタッチですぐに一本目の麻酔が打たれてしまった。あまりにもいきなりだったので、麻酔の注射のチクッが、何か器具で歯ぐきを突っついたのかと思えたのである。痛みはほとんどない。まず初めに歯の外側に1本した後、内側に2本刺された。3本目の時は、奥歯から鼻まで突き抜けるような感覚を覚えたが、ほとんど痛みは感じなかった。思った通りである。先生は麻酔が上手いと事前に親から聞いていた。

ぼーっと意識が朦朧してきた。麻酔の後、先生がいきなり席を立ったので、まさかと思ったが助手の方に「もう終わったんじゃないですよね?」などと口が半分麻痺したアホ面でアホな質問をしてしまった。だが本当に麻酔のせいで、歯が一本や二本なくなっているような感じだったのだ。

さていよいよ抜歯っぽい作業に移った。器具とかはあまり見たくなかったので目をつぶっていたが、口が有り得ないくらいに引っ張られていたのと、メリメリという鈍い音がしたのは分かった。でも痛みはほとんどなかった。メリメリという音の後、椅子が上げられる。

「はーい、口ゆすいで下さい」

と、助手の人に言われ、驚くオレ。・・・え!?もう!?

描写出来ないくらいの早業だった。5分も口を開けていなかった。あまりの早さにも驚いたが、口をゆすいで吐き出したらあまりにも大量の血が口から出てきたので、さらに驚いた。それが一番驚いた。知らぬ間に歯は抜けるわ、痛くないのに口から血がドバドバ出るわ、もう何が何だか訳が分からない。お陰で抜いた親不知を見るのを忘れてしまった。

脱脂綿を噛んだまま、歯医者を後にする。麻酔がまだ効いていて、口がうまく回らない。うっかりするとよだれも垂れてくる。春の暖かな日差しに照らされ、傍から見たらちょっと危ない人のように映ったかもしれない。だが、オレはあの親不知を抜歯するという偉業を達成して来たのである。宇宙から帰還したアポロ11号の乗組員並みの達成感である。何だか偉い気分になった。

家に帰って洗面台で右上の奥歯を見てみる。ブラックホールみたいなものが出現していた。それでまた驚いた。

Daily life